文字創作日記

創作をしてたまに日記書くブログ。感想ついたら嬉しいです

でくのぼうでいろ

でくのぼうでいろ
誰になにを言われても わらっていろ
悲しいことがあったときは おろおろしろ
嬉しいことがあったときは 力いっぱいわらえ

相手のことを 心からすごいと思え
ひとりで出来ることなんて 何もないのだから

なにも見ようとするな
どうせ俺たちには なにも見えはしないのだから

なにも聞かなくていい
聞こえる声だけが正しいとは限らないのだから

それでいい 何者にもならなくても
でくのぼうが一番 世界には必要なのだから

青空の歌

二人でまた あの青空の下で歌をうたいたい

君が笛を吹いて 僕は歌をうたう

大きな石ころを 意味もなく蹴りながら歩いた

永遠がすぐそばにある気がした

 

とりあえず今は

「おはよう」「ありがとう」「おやすみ」「また明日ね」

そう言える日々が

いつまでも続いてほしいと願う

 

いつかまた二人で 同じ歌をうたいたい

何も気にせずに 時々笑いながら

「生きてる」って意味を確認したい

広い広い青空の下で

望郷

理由もなく寂しくなる夜もある

怖い夢をみてゆっくりと起きた朝は

ずっとそのまま 現実という余韻に浸っていたくもなる

悲しい知らせがあった時には

その知らせを 自分の中で自分とするために とても時間が必要なのだ

長い長い時間をかけて 長い長い時間をかけて

服を探す

人生は服を探す旅だ。
誰もがなにか服を着て人生を踊っている。
自分に似合う服を見つけようとして生涯を踊る。
似合う服を着れば踊りもうまくなると信じて。

人に似合う服が自分に似合うとは限らない。
ありのままを見てほしくても裸になるのは違う。

似合う服を着る前に踊り疲れてしまうかもしれない。
人から見て似合う服ではなく、自分から見て似合う服を。

人生は服選びのセンスだ。

皺の形

「天才少年あらわる」という新聞の見出しにつられ、冥土の土産にご尊顔でも拝しておこうかと件の天才少年宅へ押しかけたは良いが、すでに少年は文字通り頭脳だけの存在になっていたのである。

どうしてその形に成ったのか、と問えば、少年の母が答えるに、脳のみで生きることがもっともエネルギー効率の良い形であるそうだ。
成る程シンプルで良いかもしれない。「脳死は死か」なんて論議が行われていたことを思い出すが、この状態は確かに脳が生きているのだから死んでいるわけではないということになる。

しかし他の臓器もないでは、美味いものも食べられぬし、美しい風景もみられぬ。
これでは何を今後楽しみにして生きていくのだ。

そう少年のこれからを案じながら謎の液体漬けになった件のやわらかい脳みそだけの天才を眺め、はらはらと涙を流していると、またも少年の母から説明がある。

少年の趣味は将棋や空想、計算問題を解くことなどであり、それらはほぼ脳みそさえあれば事足りるとのことだ。また、電気信号で美しい風景だとかうまい食べ物の情報だとかは脳みそに直接送ることができるわけで、これも問題ないそうだ。

つまり少年はこの世で通常生きていて手に入るもののほぼ全てを手に入れることができる。
電気信号という形態ではあるが、少年曰く世の中のことというのは殆ど電気信号であるから、身体を持ちながら何かの欲望を満たすことと、こうして脳みそだけとなって電気信号の形でそれを受け取ることというのは全くの等価であるばかりか、場所も物質も超越してそのような電気信号を意のままに得られるということはとても価値のあることだそうだ。

少年の母はニコニコしている。ほかならぬ少年の頼みでこのような大それた実験を請け負ったそうだが、この少年の母の脳みそもこの場で見てやりたいほど何かが狂っているのではないか。この親にしてこの子ありということか。

しかしながら、世の中のムズカシイ問題というのはこの少年のもとに常に送信されることになっているそうで、それを解いて得られる収入だけでもこの母の生活や少年の機能維持に余りある程度の金がもらえるということだ。

かつて天才少年であったものの、やわらかい脳みその皺はどことなく満足気に揺蕩っていた。

※この短編は、過去に「即興小説トレーニング」で投稿したものです。

http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=315561